2012年12月8日土曜日

夜行列車乗り比べの旅! ~五日目~その4






今回は水郡線に乗って内陸へと向かいます。

























そして、これがE130系初乗車になります。



少し期待して車内に乗り込みます。



が、



俺(E120系と変わらないな・・・・)



今回の旅行中に乗った米坂線のE120系と変わりませんした。






座席に座ってしばらくして列車は出発しました。



俺(水郡線は初乗車だし絶対に寝ないぞ!!!!)









~20分後~





俺「zzz」


寝ました。

疲れていてとても睡魔には抗えませんでした。







そして、目を覚ますと久慈川沿いを走っていました。

























俺「結構寝てたな・・・」








そして少し走っていくと一気に雪景色になりました。


























ようやく東北に帰ってきた感じがしますね。



それにしても、座席が体と合わずにとても乗り心地が悪いです。


どうも、今のJR東日本によくあるタイプの座席だと背中をまっすぐに伸ばして

きちんとした姿勢で乗らなくてはいけなくて辛いです。










途中駅で人も乗ってきて、車内がほぼ満員になったところでようやく郡山駅に着きました。



























なんか、写真が傾いていますね。

こんなクソカメラアングルの写真を載せていいのか分かりませんが、これが私の技術の

限界なので。







今回の旅行ではもうひとつの郡山駅にも行きましたね。

と、言うわけでこっちの駅名票も写真にとっておきます。























比べてみると結構デザインが違いますね。


やはり、騙せるのは鉄道について詳しくない人でしょう。












さて、ここから東北民お馴染みの701系に乗ります。




























ここから一ノ関まではこの仙台色タイプに乗ります。


疑問に思ったのですが、どうして黒磯~一ノ関まで仙台色なんでしょうかね?


確かに、黒磯~仙台まではほぼ直通のような運用になっている列車がいて色を

統一する必要がありますが・・・



なんていうか、それぞれの場所に来たという実感がわきづらいです。





そんなことを思いつつ701系に乗り込んで、もはや体が覚えてしまっている座席に座り

一安心したところで電車が出発しました。





~その5へつづく~

2012年12月7日金曜日

有壁隧道(その3)



さて、前回は目的のものを見れて大満足でしたが、


ここから帰らなければいけません。



俺「さっきのところを戻るのでいいよね?」



友人「やだ



俺「えっ?」



どうやら友人はここにくるときに使った道が、あまりにも泥がひどいので帰りには使いたくない

ようです。





そうなると、帰り道は


・トンネルの上を歩いて宮城県側へ

・トンネルに向かって右の斜面を歩き、湿地を回避

・トンネルに向かって左の斜面をよじ登り、近くの道に復帰



の3つになります。



さすがに一つ目は論外として、二つ目は行きに使ったルートの半分を再び通るので


分かりやすいです。


というわけで、二つ目を提案してみましたが・・・



俺「こっち側の斜面を使う?」



友人「あのやぶの中は通りたくない」



さすがに、私よりも体格が大きく体重が重い友人には辛いようです。




と、言うわけで三つ目のルートで帰ることにしましたがひとつ問題があります。


実は斜面を登った先は工場なので、間違って敷地内に入ってしまうとつかまってしまいます。



まあ、敷地を避けて歩けばいい話なので登っていきます。





俺「滑りやすいから気をつけろよー」



友人「大丈夫だっ・・・・・・・ウピョオオオオオオオオオウウウウウウ


斜面に足を一歩踏み出したとたんに、滑って転びました。


しかも縦回転していました。






斜面をよじ登っていきます。
























上からトンネルを見てみると、秘密基地みたいに見えますね。






俺「大丈夫か?」







友人「ちょっ!滑るううう!!!!」







登っていきます。





























なんと、登った先は藪でした。



なんとか藪を漕いで行きます。



























ふと、横を見てみると案外紅葉が綺麗なことに気がつきました。


しかし、辺りはどんどん暗くなっていきあせりも感じます。
































そして、立ち入り禁止の場所を避けて歩いているとこんな激藪の斜面を

歩かなければいけなくなりました。



俺「やべえ!!!どんどん下に落ちてく!!!」



必死です。






この後、何とか近くの病院に出て自転車を置いたところまで歩いていきました。


自転車のところまで戻った後は、何故か一関市内をサイクリングしました。






結局、寮に戻ったのは8時過ぎでした。




そして、ズボンを見てみると・・・・・



























一応私服です。









・・・






・・










靴下は捨てました。











~おしまい~

2012年12月6日木曜日

有壁隧道(その2)




さて、天気もよくない中県境の山中を彷徨うバカ2人



すでに歩き始めてから40分が経過しています。




俺「トンネルはまだか!!!!」




友人「泥ファッキン!!!!!」





まだまだ湿地を進んで行きます。










俺「!!!!!!!!」




俺「トンネルあった!!!!































トンネルの入り口は苔むしていて、なにやら重苦しい雰囲気を感じます。


よくよく見ると、全部レンガ造りなのが分かります。




俺「すげぇ!!!!!」



大喜びするバカ1人。




友人「あれ?ひょっとして俺ってこれのためだけに連れてこられたの?」




あまりテンションのあがらない友人。










・・・







・・














まあ、中を見てみましょう。


























トンネル内で崩落していて、貫通していないので先には光が見えません。


しかも、今回はライトを持ってきていないので入ることも出来ません。


























そして、上を見上げてみると煤で黒く染まったレンガが目に入ってきます。


このトンネルの歴史の重さを感じさせます。




























そして、横を見てみるとそこには土砂が流れ込んでいます。


そうです。このトンネルの寿命はあとわずかで完全崩落も近いことでしょう。


大変貴重な明治時代のレンガ造りのトンネルですが、人々が貴重さに気づいた


時にはすでに手遅れの状態でした。






しばらく内部を眺めた後、再び外から眺めます。


























このどこか廃退的で重苦しい雰囲気が、この隧道の過去に背負ってきた役目の重さを

感じさせます。

戦時中、出兵で故郷を離れる人々もこの隧道を通ったはずでしょう。

この隧道の先はもはや故郷の地ではありません。

それぞれ思いを秘めてこのトンネルを通ったはずです。









さて、目的の有壁隧道を見れて大満足ですが


生還からは一番遠い場所にいます。


って書くと大げさですが、確かに日暮れが迫っています。






~その3へつづく~